2024.3 清興展6人選抜展

この度、選抜展に選んでいただき、6人の中の1人として銀座で展示をさせていただきました。

たくさんの友人だけでなく、初めてお目にかかる方にも見ていただけて幸せでした。

6点の作品のうち、4点は新作です。

以下、キャプションで作者の想いを伝えます。

 

 

『Pink Baton 〜愛されるために生まれてきた〜』(新生児の絵)

私たちの生命は

私たちだけのものではなく

かつての誰かを愛した生命であり

かつての誰かに愛された生命かもしれない

生命が次の子孫へと受け継がれていくのなら

今のこの与えられた生命を

大切に生きて欲しいと思うのです

 

先進国(G7)と言われる国の中で

若者が自ら生命を断つ死因が1位にあがるのは

日本だけです

何をもって豊かさと呼ぶのか

分からなくなっている時代です

だからこそこれから明日を生きる子達のために

大人にできることは

もっとあるはずです

 

『それでも私は木を植える』(中央に少女、ノアの方舟のような絵)

南米エクアドルに伝わる

「クリキンディの伝説」を知っていますか

アマゾンの森が火事になり

森に住む動物たちが大慌てで逃げ出す中

小さなハチドリは、たった一羽になっても

その細いくちばしで水の滴を一滴ずつ運んでは

火の上に落としていきます

そんなことをして何になるんだと言われても

「私は、私にできることをしているだけ」

そんな人間で在りたいものです

 

『春を待つ』(蜂と花の少女の絵)

白人だからとか 黒人だからとか

差別とか 偏見とか 排除とか

どうせ分かり合えないとか

やっぱり無理でしょとか

そんな、人の冷たく寂しく貧しい

冬のような心境が

いつの日か変わることを

心から待っています

 

 

『ライオンになりたい』(少年とライオンの絵)

強い何かに憧れる

わたし以外の誰かになりたいと思う

そんな生き方もあるけれど

自分が、自分の一番のファンであること

それが最も幸せな生き方のように思います

 

 

 

 

2023.11 清興展

人はどちらへ向かうのか

少年兵がひまわりの方に向かえば平和の道へ

少年兵が手前に堕ちてくれば戦争の道へ

人は未来を選ぶことができるはず

 

ウクライナでもパレスチナでも

今日を生きること、明日に希望を持てない人がたくさんいて

クリスマスが過ぎてもなおその状況は変わらない

日本はプレゼントを買いに人がひしめき合っている

殺される恐れも抱かずに

家族を失う悲しみを味わうこともなく

早く仕事が終わらないかとソワソワしながら

なんてそんな平凡な毎日がありがたいことかと思わされる

 

この絵は画材店であるホルベインさんから受賞いただいたものです

嬉しかった!とても嬉しかった!

想いが伝わるって嬉しいことだ

評論家先生が言っていた

「その作品にどんな想いを込めるか、それが伝わるような作品が見たい」

「どんなに苦しくても描き続けること、いつかやってよかったと思える日が来る」

このメッセージは今回特に心に刺さった

これからも精進します!ありがとうございます

2023.3 個展 〜いつかのいい日の明日のために〜

無事に「いつかのいい日の明日のために」ばしこ。個展が終了しました。100人近いお客様にご来場いただき、本当に感謝でした!久しぶりにお会いした方、いつも来てくださる方、そしてお客様同士も顔を合わせて「わぁ!」と喜び合い、同窓会のように盛り上がって、なんとも素敵で心が温まる景色でした。そんな再会の場になれて本当に本当に嬉しかったです。
トークライブも多くの方にお集まりいただき、皆さんからもお話が聞けてとても楽しかったです。
皆様にいただいた作品代は、ユニセフに一部寄付させていただきました。本当にありがとうございました。
これからも皆さんに喜んでいただける絵を描き続けます!

2022.11 清興展

「アルファはオメガ」

古代エジプトの死者の書は、来世へ行くためのガイドブックである。そこには最後の審判が描かれ、正しい行いをしていれば真理の羽と自分の心臓が釣り合うが、そうでなければ怪獣に心臓を食べられ、地獄を這うことになる。だからこそ現世で良い行いをするよう伝えている、現代の私たちには奇妙で神秘的なガイドブックである。

人は死んでどこへ行くのか。何が正しくて何が間違っているのか。それは生きている者にはわからない。

アンク=十字架は、地上の横軸と天界の縦軸で表されているという。古代エジプト人の死生観には、始まりと終わり、そしてまた始まりがあり、地上と天界を行き来するのだろう。アルファはオメガ、そしてまたアルファが始まる。

「いいえ、あなたは知っている」

アフリカには様々な問題が潜んでいる。干ばつ、飢餓、レイプ、国籍を持たない孤児など、人間のエゴや不平等さが生んだ、社会の縮図のようにも思える。

生まれた子供が役所に届けられる数は、例えばタンザニアなら100人中たったの6人。子供が子供時代を奪われるのは、人類が生きるのに欠かせない幸せの記憶が奪われるということ。

そういう世界がありながら、一方で、この不平等さを知らずに、あるいは知ろうとせずに、生きている人たちがいる。私たちもそうだ。そして生きていられるのに死にたいと思う子供のなんと多いことか。

知らないでは済まされない問題に、耳をすまそう。

2021.11 清興展

 

縄文時代の火焔型土器の美しさには目を見張る

世界でも同時期にこれほどの装飾性を帯びた土器は例がない

描いてみて初めてその複雑さが分かった

同じパターンの模様がない。どんな想いでこれを作ったのか、当時の縄文人の気持ちを想像した

 

縄文人は来世があることを信じ、毎晩月に祈りを捧げた

来世を信じていたからこそ、現世は一日一日を焦らずに生きられた

だから一見無駄とも思えるほどの、装飾的な土器を作りつづけたのかもしれない

もっとシンプルで使いやすいものでもよかったはずだが、合理性を求めず、排他的でもない彼らの生き方は、もはや忙しない現代人にはできない、羨ましい生き方なのかもしれない。

 

母なる大地で、人と動物が共生している

足るを知る世界の中で、その日採れた食べ物の恵みをいただく

生死のサイクルに神秘を見出す

明日生きられることを願って土偶を割る

 

「いつかのいい日の明日のために」生きられる彼らと、今の豊かさのために生きる私たちと。

どちらがいい悪いではないにしても、縄文人の生き方に憧れたくなる自分がいる

2021.11 現代童画展

Love is Borderless
世界の子どもを描きたかった
子どもが笑顔でいられる世の中は平和だと思う
肌の色も背丈も年齢も、生きてきた環境も、
育ってきた親も違うけれど、
そこに思いやりや労りという愛があって、
相手を理解しようとする愛もあれば、
文字通り国境や壁なんて作らなくていい未来がくる
…といいのにね
ある意味大人より子どものほうがそういうことが上手
子どもを通して大人も笑える世界になってほしい

2021.7 現代童画展 セミナー展

「あのころはダイヤモンド」

 

昔大切に集めてた石ころやビーズ

宝箱の缶からに入れて、時たま眺めてはうっとりしていた

大人になって、再び缶からを引っ張り出してみると

そこには古びた石ころやビーズ

あのころはダイヤモンドに見えた宝石たち

でも何より、そう思えていた自分の心が一番美しかった

そんなあのころが懐かしく思える

 

中3の子供が書いてきた作文

なんて美しい感性なんでしょうね。

 

世界でひとつの大切な万華鏡を持っている私にとっては

それが今も昔もダイヤモンド

2020.11 2020年清興展

「被食者(ターゲット)は誰だ」
天敵が少ないと無尽蔵に増え、天敵が多いと被食者は絶滅する。その絶妙なバランスの上に成り立っているのが「被食者」だ。
単一では弱くても、集団になるとそれが脅威になることもある。
この世の中は食べる・食べられるの世界にあって、人間はそのトップに立つと言われているけれど、今年は新型ウイルスの猛威を目の前にしては無力だ。そういう意味では人間は今、ウイルスにとっての被食者なのかもしれない。けれども、ウイルスは何かの媒介なくしては生きてはいられない。どこかに寄生して、その身体を蝕んでは、次の宿主を探す。
この絵が生物界の食物連鎖を描いていると捉えられるならば、蝶の羽根を持つ男が被食者(ターゲット)であるように見えるけれど、人によって見方は様々でいいと思った。だからタイトルをあえて、「被食者は誰だ」とした。

 

例えば、蛇女。蜘蛛女と同じ髪型をしている。この二人は姉妹だろうか。蜘蛛よりも強い存在に魂を売ったのだろうか。
例えば、蜘蛛女。蝶の生命を奪って生きてきた一方で、同時に手から新しい「生命」を生み出してもいて、生と死の両方を操れるとしたらおもしろい。

2019.11.17~24 2019年清興展

今回の絵は、Blue Baton 〜継がれゆく生命〜 
あるネイティブアメリカンの言葉からインスピレーションを得ました。
「この地球は先祖からの授かり物ではなく、子孫からの授かり物。だから7世代先のことも考えて今を暮らしていかなければいけない」
この言葉に出会って、今年のテーマはこれにしよう!と決めました。

アメリカは老いを無用だと考える一方で、アラスカは老いを生きる知恵として尊重し、その考え方を大切にしてきたそうです。私たちも自然と共存する知恵を先祖から学ぶべきなのかもしれません。

今回意識したのは、先住民を老木に見立てたこと。
これは星野道夫さんの本で紹介された、アラスカの木のトーテムポールの話が印象に残っていたことから発想を得たものでした。木で作られたトーテムポールが、やがて朽ちて倒れた時に、そこから新芽が出て生命が継がれていったそうです。
人の命も、人として大切なことを守りながら、継がれていってほしいと願います。

今回は鉛筆で一回も下書きせず、直書きの中で、次はどの動物をどんなふうに描こうかなぁとかたちにしていくのを楽しみにしながら描けた作品でした。
(だから早く仕上がった!笑)
そんな風にして描いた作品が、評論家さんの目にとまったことがとても嬉しいです。

評論家さんが言っていました。
「物騒なことが多いこの時代に、自分は絵なんか描いてどうするのかと思うこともあるだろう。でもどんなものにも描き手の想いがあるはずで、何かを伝えたいはずで。どんなに下手でもいいから、キミはなんのために描くのか、その想いが伝わる作品を見たい」

なんだかこの言葉を聞いた時に、目頭が熱くなりました。
ややもするとどストレートに伝えたいことを描きすぎる私の表現は、まだまだこれからだと思いますが、こうしてたくさんの方が応援して見にきてくれることを励みにこれからも精進します!

 

 

 

2018.11.17~24 2018年清興展

尋常性白斑、
この病名を知っているだろうか。
紫外線から肌をまもるメラニンを生み出すメラニサイトが
なんらかの原因で減少・消失し、
皮膚の色が白く抜けていく病気だ。
人口の約1パーセントの人が発症するという。
私は知らなかった。
けれど、あの世界的歌手のマイケル・ジャクソンや、
黒人モデルのウィニー・ハーロウもその病気と闘ってきた1人、
有名な彼らを見れば、知っているかもしれない

私はこのモデルの生き方に感動した
美しさの定義は人それぞれであっていいし
誰になにを言われようと
自分の中の美をどう魅せるかは
様々であっていいのだと思わせてくれる
そして人の個性は見方によって強みにもなるのだという事を、この絵に込めたかった

白人であればそれほど目立たずに済むこの病気も、
黒人となれば色の違いが顕著に表れる。
それ故に人から差別されたこともあったらしい。
ファンデーションで隠すこともできるが、
彼女はあえて露出した服で大胆に魅せる
それがなんともカッコイイ

彼女の心情を髪の毛であらわした
発想を得たのは、中国に伝わる陰陽五行説
金、水、木、火、土
これらはすべてのものを物語るという
時に混じり合い、時に反発し合いながら作り出す世界観
人の感情もそれに似たようなものではなかろうか
笑いながら泣いていたり
怒りながらどこかで冷静であったり
彼女の人生でも様々な心情が交錯しただろう
その想像も含めて
彼女の生き方を表現したかった

myノリティー
自分らしくあること
マジョリティー社会の中で
生きづらさではなく
いかによりよく生きるかを模索する人たちを
伝えたいし、応援したい
そしてそこから学びたい
私も常に進化しつづける人を目指して

※ちなみに絵の中に「minority」という文字が隠れています!
さがしてください〜

 

 

2017.11.17~24 2017年清興展

「倖せのパラドクス」
今回の作品は、
「人間は生活の豊かさや、それに伴う倖せを求めて、
進化を遂げてきたけれど、
でもその進化はこの先果たして本当に人間を幸せな方向へ導いていくのかな」
そんなことをテーマに描きたかった
ちょっと表現がストレートすぎるとのご指摘もいただいたが、人間のエゴに警鐘を鳴らす、
その意図は多くの方に分かっていただけて嬉しかった。

18世紀後半の産業革命以降、人は物理的な豊かさを得た一方で満足することを知らなかった。
原爆のような破壊力も得たし、
スリーマイル島の原発事故のように人々の利益の先にある恐怖と代償を知った
アダムとイブの神話を知っているだろうか。
イブが欲で禁断の果実を食べ、
その結果エデンの園から追放されたように、
人間もまた手を出してはならないところまで
手を出そうとしているのではないかと思う。
破壊と再生、でもその再生が追いつかないほどに破壊を繰り返す人間のエゴ
背後の砂時計、時間がもうないことを暗示する

私が絵を描き続ける意味
ただ描きたいから、だけではないものを見つけたい

 

2016.11.17~24 2016年清興展

今年も出すことに決めた清興展。

今年はどうしても夏に行ったアウシュビッツ収容所が描きたくて

かなり重いテーマだけど、描きたい気持ちを大事にしました。

見知らぬお客さんから、「何度もここを通ってしまって、いろいろ考えるの」と言っていただきました。

専門家の方からは、ポピーの赤をもっと原色ではっきりみせること、それを方々に散りばめること

手前の人物のプロポーションと大きさを変えること

などを言っていただきました。

とても私自身、大きく自分の中でなにかが変わった絵でした。

 

清興展の会友にも選出していただいたので、がんばります!

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2015.11.17~24 2015年清興展

「森が海をつくる」このテーマについて少し説明を。
旅行に行って自然に触れるたびに、思ってた。
自然のバランスって素晴らしいって。
木々が大地に根を張り、恵みの雨をその根から吸い上げ、
地下に滔滔と流していく。その水は川となり、やがて海となる。
太陽の熱は大海を温め、その蒸気は空へ昇り、雲となり、
また恵みの雨を降らせていく。そうやって循環して豊かさを保ち、
何千年も前から当たり前のようにそうしてきた。
改めて自然の偉大さを思う。逆にそのバランスを人間がひとたび壊せば、
森は枯れ、自然の営みはいとも簡単に崩れてしまう。
だから、「森が海をつくって」きた、
その営みを、もし人間が壊しているなら、
その営みを、人間の手で取り戻すこともできるはずだと思って、
そういう絵を描きたいと思って筆をとった。
海は葉を魚に見立てて大海を表し、木は緑葉と紅葉を描いて循環を強調した。

私がいただいて嬉しかった感想を、ご本人の許可を得て(事後報告だけど笑)
紹介したいと思います。

仕事仲間がこんなメッセージをくださった、
「描く人の視点、思い、メッセージ、表現方法。観る人の受け止め方。
人を通して完成されたものだからこそある魅力に、胸が熱くなる」
写真と違って絵は自由だ。どんな色にも、どんな形にもなる。
私はまだまだ絵の具の持つ力に負けているけれど、
いつか絵の具を自分の色彩の一部にできたときに、
はじめて自由になるきがする。

もうお一人、ある先輩の言葉が素敵だった。
「海を描かずに、しかも乾いた大地で海を表現するというのが
とても面白かった。幼木を植えることは海の一滴をつくることなんですよね。」
大海の一滴をつくるということ。ハチドリのひとしずくを思い出す。
「森が燃えていました。森の生きものたちはわれ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは、いったりきたり。
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て、『そんなことをしていったい何になるんだ』と
笑います。クリキンディはこう答えました。
『私は、私にできることをしているだけ』」

そう、たった一滴でも、それが私にできることならば、
かけがえのないことだと、そう思える。
この文章を見たときは、どきりとした感覚を覚えた。

またあるデザイナーさんは「この中心の人物はマララさん?」と
おっしゃっていた。マララさんを想定したわけではないけれど、
でもこういう自然の大切さを伝える教育が世界中に広まればいいと願ってる。
なかなか絵の神様が降りてこなかったし、画力不足なことはいっぱいある。
恥ずかしいくらい、いっぱいある。
でも、私は自由な絵が描きたい。
そしてその自由さの中に、はっとする美しさと、
じんわりとするあたたかさと、
どきりとする衝撃を与えたい。

 

2016.325~27 あこことばしこ。展

3/25~27の3日間で、サイト青山さんをお借りして、展示をしました!

中高の同級生のイラストレーター「あここ」ちゃんとのコラボ!

それぞれのお部屋でそれぞれの世界観を演出しました!

共通の友人やお世話になった先生方もいらして、楽しい場になりました。

 

今回の私のテーマは「社会派」

今社会で問題・話題になっていることを絵にしてみようと思い、

「イスラム国」「虐待」「同性愛者」「難民」「津波」を描きました。

ただ楽しいだけではなく、なにかを伝えたい、そんな思いで描きました。

ご来場くださった方ありがとうございました。

 

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2015.1.6~12 「にゃんこ展」グループ展

1/6(火)〜12(月)まで、原宿のデザインフェスタギャラリーにて、「にゃんこ展」に参加しました!

今回はばしこ。のイメージを壊して、がらっとスタイルを変えました。

「儚さと、そして美しさと」をテーマに、ねことアルビノ女性をモデルにしたイラストを展示しました。

 

ある時、ロシアのアルビノ女性の写真に目がとまりました。

自分のアルビノという特徴を生かして、最大限に美しく魅せている彼女は

儚く、それでいて強く、そしてなにより美しかったのです。

少しツンとした、自我のあるようなねこと一緒にうつることで

より存在感のある絵に仕上がるのではと思い、描きました。

 

当日は、総勢63名のお知り合いの方がいらしてくださり、

本当に本当にありがたく、また嬉しかったです。

 

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2014.2.12~17 「ART & LOVE TOKYO 2014」グループ展

イラストは、銀座ミレージャギャラリーにて販売中!

Mum 61600円

ともだち 39600円

 

※どちらも、額込みのお値段です

※どちらも、売上の一部は日本ユニセフ協会に寄付させていただきます

 

内容の詳細やお問い合わせはこちらから

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.596142917141271.1073741843.485346694887561&type=3

 

あなたの「幸せ」とは、なんですか
あなたの「幸せ」はどこにありますか
あなたは今、「幸せ」ですか

人はみな、なにかしら障害を背負って生きています
その障害とは、身体のハンディキャップのことではありません
負い目だったり、ジレンマだったり、妬みだったり
焦りだったり、怒りだったり、絶望だったり
自分の心をがんじがらめに縛る鎖のようなものです
そんな自分と常に向き合わなければいけない環境は
決して、「幸せ」とはいえないかもしれません

けれど、どんな逆境の中にいても
置かれたところで咲く花があるように
その冷たい鎖をゆるめてくれる誰かや何かが
あなたのどこかにあるはずです

覚えていますか?
それは時に、何も言わずにぎゅっと抱きしめてくれるときの母の温もり
惜しみなく注がれた愛で、心の奥底の雪がじんわりと溶かされるような記憶

覚えていますか?
それは時に、友達と歩く学校の帰り道
笑い声が心の中でこだまする 「また明日」の明日が待ち遠しい記憶

ほんのひとさじの記憶が、人の心をあたためるとき
それが背伸びするような大きなことでなくても、
小さな和らぎをかみしめられることが
あなたにとって最大の「幸せ」だと思うのです

子供の幸せは、大人の幸せ
幸せの寄り添うところに
あなたの種をまいてください

6日間のグループ展が終わった
たくさんの方が来て下さり、
大雪の中、お忙しい中、
時間を割いて、見て下さった
温かいコメントや、参考になるアドバイス
私の事を考えてくださっての鋭いご指摘
全てがまるで和紙に落とした色水のように
私の心をじわんと染めるようだった

もともと、ブータンの子供の絵を描くつもりだった
関健一さんという、素敵なブータンの写真家さんが撮る
子供達の屈託のない笑顔に魅せられて。
でも、なにか意味をもたせたい
そう思ったときに、考えた
「なんで、私はこの子供達の光る笑顔に惹かれたんだろう」と。

子供と接する仕事をしていて、思う
笑っているようで笑っていない子供がいる
笑う事を避けたり、笑われる事を恐れてる子供もいる
いろいろな子供がいるけれど
子供が笑顔でいられる環境が、子供の本当の笑顔を引き出すのかなと、そう思った
だから、そういう空気を描きたかった

拙いところもたくさんあって
自分の力量のなさもたくさんお見せしまった。お恥ずかしい
押し付けがましさも、プロ意識の無さも
ぜーーーんぶ脇に一度置かせてもらって…
今回のグループ展は
私の描きたいもの、伝えたいものが
水がほとばしるように素直に出て来て
それが筆にあらわれた
そうなれた自分に感謝
そして、それを受け入れてくださった皆様に感謝したい

でも技術的には不満足だから
もっと高みにいきたい
大きな感謝と大きな課題をもって
また明日からがんばろう

見に来てくださった皆様、応援してくださった皆様、心からありがとうございました

2014. 1. 6~28 「二人展 -smile ×journey-」小黒淳一 × ばしこ。

(新潟県村上市 カフェギャラリー「ぽぽら〜れ」にて)

2013.10.6~12.29 かっぽん展

(埼玉県朝霞市 体操教室MODEL Gにて)

2011. 6. 2 ~ 29 「とりっぷる展」

(東京都代官山 美容院liaison にて)